移住して果樹園を引き継ぐ

そうべつ人の暮らし
移住者インタビュー
片山さん

くだもの農家 浜田園 片山 智彦さん

山口県岩国市出身 ▶
京都府京都市 ▶
大阪府大阪市 ▶
壮瞥町
<移住歴4年>

浜田園を、次の100年果樹園へ。学生時代に憧れた地方活性の答えがここに。

プロダンサーが果樹園修行。
四十にして、
新しい夢へ惑わず

「姿勢の美しい人」。それが、片山智彦さんとお会いした時の第一印象だ。ぶどう棚が一面に広がる巨大なビニールハウスが何棟も並ぶその一角で、長女・万里花ちゃんを抱き上げながら果樹の手入れをする片山さんは、背筋がすっと伸び、美しい所作で農作業を行う。ここは、壮瞥町滝之町地区。開園130年の歴史を誇る、町内屈指の老舗果樹園「くだもの農家 浜田園」は、町内18の果樹園が集まる「そうべつ くだもの村」の中心的な存在で、延べ3万坪を誇る大型観光果樹園である。
「浜田園で栽培している果樹は、りんご、いちご、さくらんぼ、梨、プルーンなど100種類近くあります。最初はそれらの名前や特徴、熟す時期、そして広い園内のどこに何が植えてあるのかをすべて覚えるのが大変で、自分なりに一覧表を作成したり、支柱に品種名を書いて回ったりして、把握するのも一苦労でした」。
片山さんは、浜田園の5代目、浜田英彰さんの次女の夫。つまり5代目は義父になるのだが、果樹園の仕事に就いたのは4年前、40歳になってからのことだった。
「実は私、4年前までは、競技ダンスのプロダンサーでした」。
なるほど、合点がいった。美しい姿勢や所作は、競技ダンスで磨き上げられたものだ。

少年漫画の
主人公のように。
競技ダンスに目覚めて飛躍!

「私は山口県岩国市の出身で、父は旅行代理店でツアーコンダクターをしていました。子どもの頃はいわゆる"バブル景気"で、地方の観光開発がブームだった時代。次々と開業するテーマパークを訪れてはワクワクしていました」。
智彦少年は、ツアコンだった父が選ぶ各地の観光スポットへ家族旅行するのが楽しみだった。中高生になると、JRの『青春18きっぷ』を利用して東京や関西、九州一周旅行も楽しんだ。
「旅の最終目標は、当時大人気だったテレビ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』に出場して、ニューヨークに行くことでした」。
高校時代、自らクイズ研究会を立ち上げ初代会長に就任したものの、あと一歩のところで県代表を逃した。そこで、当時日本一の強さを誇る京都・立命館大学のクイズ研究会を目指して受験勉強に励むと、見事、合格。「大学で"クイズ王"を目指しながら興味のあった地方活性を学び、卒業後は岩国市役所で町おこしの担当者になる、という将来設計を描いていたのですが、大学入学前にバブルが崩壊。クイズ番組は打ち切りとなり、バブルの遺産は次々不良債権と化して、地方の活性化とは何なのか分からなくなってしまいました。夢も希望もなくなった時、たまたま立命館の競技ダンス部に勧誘されまして。それで、これに青春のすべてを賭けようと決心したのです」。
しかし、スポーツは大の苦手で入部当初は一番下手。それが猛練習の末2回生でレギュラーを獲得、3回生では西日本大会で2位に輝いた。そして、4回生になると全日本大会で決勝に進出。
「我ながら、少年漫画みたいな飛躍ぶりで...(笑)。大学卒業後は京都本社のメーカーに就職し、大阪にいる師匠のもとに通いながらダンスを続けようと考えました」。

ダンスのパートナーが、
人生の伴侶に。
輝かしい成績を残し、
嫁ターン就職

ところが、就職してみると社内は驚きの連続だった。不況で成果主義が導入され、仕事ができる社員は自分の仕事を要領よく終えると、定時までゲームをして時間を潰していた。それが自分の目指す姿とは思えなかった。一方で、新人の片山さんが何かミスをすると、上司から何時間も大声で人格否定をされ続けた。当時パワハラという言葉はまだ無かった。
追い詰められた時に浮かんだのは、ダンスの師匠の姿だった。師匠の指導も厳しかったが、常に今全力を出せば乗り越えられそうな課題を考え、与えてくれていた。師匠のように良き指導者になりたいと思い、24歳で脱サラ、プロダンサーに転向した。
「しかし本来、プロはパートナーと一緒になるのが定石。大会に出て好成績を残さないと生徒さんも集まりません。なのに数年間は条件の合う相手が見つからず、やっと見つけた相手としばらく試合に出ては解消の繰り返しでした」。
そんな時に、ある女性と出会った。
「それが妻の佳奈です。彼女はCAを目指して北海道から大阪の大学に進みましたが、不況で航空会社の募集がゼロ。そこで会社員として働きながらダンスを習い、プロの試合に出ていました。一時期はライバルでしたので、組むことなど想像もしていませんでしたが、彼女の組が解消すると聞いて、ぜひ組んで欲しいと口説いたのです」。
佳奈さんとパートナーを組んだ途端、西部日本選手権で準決勝進出。さらに、ビッグタイトルである名古屋インター選手権で決勝にも進出し、周囲を驚かせた。その後ふたりは結婚し、師匠の教室で生徒さんに教えながら、各地の試合やパーティーで踊りを披露。毎年ロンドン留学をして世界的なコーチャーのレッスンを受け、映画『Shall We ダンス?』にも登場したブラックプールの全英選手権にも出場を続けた。
「充実した競技人生でした。そして私は40歳を機に選手を引退し、自分の教室を開いて指導に専念しながら、大会の運営役員や審査員というコースに進もうと思っていました」。
そんな折、佳奈さんの実家である浜田園からお手伝いを頼まれ、観光シーズンの壮瞥町に帰省することに。そこで片山さんはピンと来た。「学生時代に憧れながらも断念した、町おこしや地方活性の答えがここにあるじゃないか!」と。

観光果樹園は、
テーマパーク。
家族の想い出が紡がれる場所

滞在中に目の当たりにしたのは、国内外から壮瞥にやって来て、旬の果物をお腹いっぱい食べるお客さんたちの笑顔、笑顔、笑顔だった。そこには、かつて家族で観光地へ出かけた、幼い頃の自分と同じ姿があった。
「大学で、地方活性はもうハコモノの時代じゃないと言われて、じゃあ何なんだとずっと疑問でした。地方分権を進めればいいのか?工場や学校を誘致するのが正解なのか?イベントを企画したり、ゆるキャラを作ればいいのか?どれも正しいだろうけど、自分にはピンと来ませんでした。しかし浜田園に来てひらめいたのは、"経済と雇用"だということ。経済というのは、他にはない魅力ある価値を生み出すことで、遠方の人がコストをかけてでもここに来たい、購入したいと願うようになるということです。正直、果樹園というのは農業だから自分には専門外だと思っていました。でも、ここはテーマパークと同じで、家族と大切な想い出を作りに来る、かけがえのない場所だと気づいたのです」。
そして、もう一つは雇用。「他にはない魅力を持つ町ほど、移住してそこで働いてみたいという人を増やすことができ、果樹はその魅力になりえます。しかし、果樹栽培は苗木から採算が取れるまで何年もかかるので、移住者がゼロから始めるのは難しいのです。それだけに既存の果樹園を守り、永続させることが、雇用を作り、地域全体を守ることにもなるのだと思いました」。
大阪に戻った片山さんは、仕事の傍ら夜間の大学院に入って経営戦略を学びながら、どうすれば皆が幸せになれるかを考え続けた。 そして、出した結論は、ダンス業界で築いた地位とキャリアを捨て、北海道へ行くことだった。

「Shall We くだもの狩り?」
壮瞥観光が、
選ばれる存在になるために

「浜田園で働き始めてから、果樹の世界はダンスとの共通点が多いことに気がつきました。優れたダンスが360度どこから見ても美しく隙が無いように、手入れの行き届いた木は上手く空間を活かして、どの枝にも光が入り、全体に見事な実をつけます。また、本場イギリスから先生をお招きしてレッスンを受けるように、青森や山形から名人をお招きして、近所の果樹園の皆さんと一緒に技術を学ぶというのもそっくりです。何より、素晴らしいものを作り上げることで、多くの人に感動していただけます」。
ダンスのコーチャーとして人を成長させるのも、果実を成長させるのも、おそらく根っこの部分は同じではないかと話す片山さんは、今では農業の奥深さにすっかりハマっている。
「とはいえ、果樹についてはまだまだヒヨッコです...。純粋な栽培の技術はもちろんのこと、膨大な数の品種の状態を見極め、今、何の作業を優先すべきか決断し実行していく力というのは、義父の足元に全く及びません。でも、いずれ何とかその力を身につけて、妻の実家、義父の味、百年以上続くこの果樹園を守りたい。近所の果樹園の皆さんと一緒に、この美しい地域を守りたい。そして、より多くの方に壮瞥に来てもらい、くだもの狩りを楽しんでいただきたいです。義父の『味第一、お客様第一』の精神、そしてダンスの師匠の『一生勉強』の精神で、頑張っていこうと思います」。
そして最後に、片山さんはこう付け加えた。
「ところで、世界の中心ってどこだと思いますか?ニューヨーク?ロンドン?それとも東京?---私は、今自分が立っている場所、だと思っています」。
遠く離れた町に行きたいよりも、今自分がいる場所が素晴らしいので来てくださいという気持ち。それが、地方の活性化のスタートであり、片山さんがたどり着いた答えだった。

Pick up

妻の佳奈さんとパートナーを組んだ途端に競技成績は鰻登り。関西でもトップクラスのプロダンサーとなったふたりは、人生においても大切なパートナーに。

果樹園は"密"にならないレジャーとして、国内の個人来園者が増加。また、ステイホームで果物だけでなく自家製の焼菓子やジャムなどのオンライン販売も好調。果樹園の新たな価値創出を感じている。

園内には『壮瞥町最古のりんごの樹』がある。開園130年以上を誇り、町の基幹産業を担う浜田園を守り、美しい壮瞥町を多くの人に知ってもらうことで町の活性化に貢献することが、片山さんの夢である。

くだもの農家 浜田園・浜田園菓子部(じゃむ工房杏の樹)

http://hamada-en.com/

TEL:0142-66-2158

e=mail:hamada-en@topaz.ocn.ne,jp

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