町の魅力発掘・情報発信

そうべつ人の暮らし
移住者インタビュー
清水さん

壮瞥町役場 地域おこし協力隊 清水 美花さん

福井県丹生(にゅう)郡出身 ▶
東京都内 ▶
壮瞥町 ▶
〈移住歴1年4ヵ月〉

探しながら、叶えればいい。自分の世界観を大切にしながら、起業をイメージする日々。

熊牧場で、やる気MAX!?
独自の目線で
町の魅力を切り取る。

「私が好きなのは、"くま"や"クマ"ではなく、"熊"なんです」。
この違い、お分りだろうか。実は、取材中の私たちにはよく理解できる。というのも、巨体の羆(ヒグマ)が何頭も目の前にいて、こちらを見ているからだ。
その場所は、昭和新山熊牧場。学生時代から熊が大好きで、熊に関する自身の活動を『熊活』と呼ぶ清水美花さんは、2020年8月から壮瞥町の地域おこし協力隊として活動している。
「地域おこし協力隊といえば、農畜産業や観光、教育、環境保全などの分野で地域に貢献するイメージで、一体、私に何ができるのだろう?と気後れしていました。しかし、北海道移住への思いが強くなっていた頃に、壮瞥町の協力隊の募集内容に「地域の情報発信」という文字を見つけたのです。これなら前職の経験を生かせるかもしれない、と決心がつきました」。
志望動機は、もう一つ。清水さんは壮瞥町の観光資源の多さに驚いたそうだが、その中でもひと際、心を鷲掴みにした観光スポットがあった。それが、昭和新山熊牧場。
「自分が住む町に熊牧場があると想像しただけで、やる気ボルテージが一気にMAXになりました(笑)」。
どうやら、清水さんには独自の世界観がありそうだ。そして、なぜ移住を考えるようになったのだろうか。尋ねてみると、少し意外な言葉が返ってきた。

壮瞥よりも大雪の降る
福井の田舎育ち。
28歳にして、
上京を決意する。

「壮瞥町の印象は、実は、想定内でした(笑)。私の出身は福井県の丹生(にゅう)郡といって、眼鏡の産地で有名な鯖江市のおとなりです。福井の田舎で育ったので壮瞥町の環境や生活にギャップを感じることはなく、むしろ、壮瞥町の方が徒歩圏内で必要最低限のモノが手に入るので、便利だと感じるほどです。しかも福井は雪国なので、冬は大雪が当たり前。子どもの頃はかまくらを作ったり、ソリ遊びをしたり、28歳まで地元にいたので雪道の運転にも慣れています」。
意外にも、清水さんは移住前から、田舎暮らし、雪国暮らしのベテランだったのだ。さらに、福井の実家では母屋に両親と兄夫婦、姉が住み、敷地内の離れの住宅に祖父母が暮らしていた。高齢の祖父母が心配なので、離れの2階に清水さんが同居するという三世代・近居暮らしだったのだ。
「実家には28歳まで居ました。一人暮らしへの憧れはありましたが、"自立"というのは自分で稼ぐスキルを持つことだと思い、まずは地元で働いて経済的に自立しようと決めていました。そして、28歳になった頃、次の仕事も決めずに上京しました(笑)」。
なんという急展開。しかも、清水さんは上京前に部屋探しのため東京へ出かけると、すぐに好物件と出会い、その日のうちにアパートの賃貸契約を即決。瞬く間に、東京暮らしが始まった。
「アパートは、良い大家さんに巡り会えてラッキーでした。しかし、引っ越した1週間後に、あの『3.11』が起きました」。

アルバイトから広報担当に!
でも、新幹線から見える
車窓の景色が哀しかった

「2階建ての古いアパートでしたので、家電が転倒したり物が散乱するなど、やはり怖かったです。でも、上京したばかりだったので実家に戻らないと心に決め、福井で経験できなかった仕事をしたくて、様々なアルバイトに挑戦しました」。
コンビニの棚卸し、大規模な音楽フェスのスタッフなど、都会にいたら当たり前に求人募集しているアルバイトも、福井では叶わなかったので嬉しかったと笑う、清水さん。
その後、アパレル会社にアルバイトで勤務。その会社が新規事業として雑貨ブランドを立ち上げ、スカイツリーに1号店を出店するタイミングで、清水さんは正社員になった。そして無我夢中で働いていると副店長になり、店長に昇進。さらに、その後も本部のショップディレクターを経て、プレスプロモーション(広報)担当にまで上り詰める大出世を果たす。地域おこし協力隊で「情報発信」に貢献できると考えたのも、この時の写真撮影やPR活動の経験が活かせると考えたからだ。
「本部勤務になりましたが、あの頃は、めまぐるしい日々でした。たまの休暇は福井の実家に帰省したりして。東京に戻る時、滋賀県の米原駅から新幹線に乗るのですが、最初は美しい自然の風景だった車窓が、だんだん高層ビルが増え、夜なのにどんどん明るくなる都会の街を見て、哀しい気持ちになってしまって...。それが3年間くらい続きました」。                 
きっと、自分は疲れているんだ。そう言い聞かせて、心に蓋をし続けていたという。

夜になれば暗くなり、
星が見える。
当たり前が当たり前にある
壮瞥の魅力。

ところが、心の中に仕舞っていた想いは、真冬の北海道旅行で溢れ出した。
「夜になれば暗くなり、星が見える。友人と出かけた北海道旅行で、当たり前が当たり前にある暮らしが、自分にどれだけ大切なことかを再認識しました。その頃からです、北海道移住を考え始めたのは」。
―― 2020年8月、地域おこし協力隊となった清水さんは、壮瞥町に移住した。
「移住前から壮瞥町のことは調べていました。「Googleストリートビュー」を使ってインターネット上で町内散策を楽しんだり(笑)、洞爺湖、森と木の里センター、果樹園など、町の観光資源についてホームページやSNSで情報収集しリサーチしていました。例えば、昭和新山熊牧場の場合は、新しい土産品の紹介も楽しいのですが、熊好きの私としてはもっと熊たちのありのままの姿を見たいと感じました。一頭一頭のキャラクターの違いや、赤ちゃん熊の画像を紹介したり、「木彫り熊」の魅力を見直したり。一人で勝手にPR企画を妄想していました(笑)」。
実は近年、純喫茶など昭和レトロブームと相まって、民芸品の象徴だった「木彫り熊」の人気が再燃している。SNSでは数年前から「#木彫りの熊」というハッシュタグが増え始め、かつての鮭を咥えた熊だけでなく、実にさまざまな作風があり、モダンな作品も数多く紹介されている。ちなみに、清水さんの『熊活』は、木彫り熊も対象なのだ。
「前職で雑貨の商品企画をやっていたので、熊に関する商品の企画開発にも挑戦したいと考えていて。熊牧場や木彫り熊など、町民には身近すぎて当たり前のものも、私には"眠っている町の宝"に見えました」。

好奇心のアンテナを張って。
"眠っている町の宝"を、
新しい角度から発信したい。

ある日、民芸品販売の「あとぐち民芸」の店舗兼工房に清水さんの姿があった。旭川、阿寒で修行を積み、木彫家・藤戸竹喜、彫刻家・砂澤ビッキなどの興味深い話をしてくれる木彫り職人、後口(あとぐち)さんは、創作の熊やコロポックルの作風が有名だ。清水さんは時間ができると、後口さんに会いに行く。色んな話をしながら木彫りをする姿を眺めるのが、至福の時間なのだとか。これも清水さんの大事な『熊活』なのだ。
「親戚のおじさんみたいに、世間話をして笑い合っています。実は、私も熊の木彫りに挑戦しているのですが、当然ながら難しくて...。特に、木の節の部分はどう彫るのか。木材を水に浸けるとか、胡桃の木が彫りやすいとか、後口さんは素人の私にも優しく教えてくれます」。
さらに、ある時は、天体観測ドームのある「森と木の里センター」で清水さんを見かけた。
「そもそも天文台のある町は珍しいですよね。『夜空を見る集い』には欠かせない"星のおじさん"こと、田中文夫さんは、愛称で"トッシイさん"と呼んでいて、星座や惑星、宇宙の話、あとは夜空の綺麗な写真の撮り方などを教えてもらっています」と、清水さんは楽しそうに話す。
後口さんも、田中さんも、移住してきたばかりの清水さんに優しく心を開いてくれる。
「かけがえのない時間を与えてもらっています。壮瞥町の魅力は多すぎるほど沢山あります。町の魅力のどの部分にフォーカスをあて、どう伝えていくか。私がプライベートで好奇心をかきたてられる事柄を、地域おこし協力隊として人脈や情報網としてつなぎ、新しい形で魅力発信ができたらと考えています」。
協力隊に就任した時はすでにコロナ禍だったため、町民と直接触れ合う機会が少なかったと話す清水さん。しかし、ウィズコロナとして世の中が動き始めた今、当たり前が変わる時にこそ、新しい価値観が生まれ、定着する。清水さん流の世界観で町の隠れた魅力を発掘し、面白い角度から壮瞥町が話題になることを期待せずにはいられない。

Pick up

清水さんの『熊活』スポットの一つ、昭和新山熊牧場。"生の熊"に会うことが熊好きには一番の至福だとか。子熊の遊ぶ姿や大人の雄熊の寝姿など、野生とは違う癒しの光景が楽しめる。

近年はアートとしても注目される北海道の木彫り熊。清水さんが木彫りにチャレンジするきっかけとなった、道南・八雲町の木彫り熊の名人、故・鈴木吉次さんの作品をオマージュ。かなり似てる!?

「森と木の里センター」で、"星のおじさん"ことトッシイさんを取材。夜は星空観測が体験できる天体観測ドーム内からは、洞爺湖はもちろん有珠山から昭和新山、羊蹄山までを一望できる。

壮瞥町「地域おこし協力隊」記事一覧

https://www.town.sobetsu.lg.jp/iju/kyo/chiikiokoshi/

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