今日の壮瞥

防災教育の大切さを思う。

9月6日に発生した「平成30年北海道胆振東部地震」によりお亡くなりになられた方々に対し謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。


6日の未明3時ごろ、携帯のアラームと共に激しい揺れで目覚めました。

前日の5日の未明も台風の影響で家は揺れ窓ガラスが割れるのではないかと思うほどに激しい強風と豪雨でした。朝方には長流川の氾濫水位が上回り、洪水の恐れがあると携帯のアラームがなりました。

二日連続でおきた地球の驚異を体験し、災害について考えさせられた出来事です。落ち着いて寝られなかった数日。今こうしてブログを書き始めたのは伝えたいことがあるからです。この思いを消えないうちに綴っておきたいと思いました。


地震後の壮瞥町について

台風で町民の方々、特に農家さんは寝られない日となったことかと思います。その後の地震ですから・・・。

地震で停電が1日~2日続き冷蔵や冷凍物がだめになってしまったり、電気のない真っ暗な中、不安な夜を過ごしたりと災害の影響は住民の方々の生活に大きく影響を及ぼしました。

ただ厚真町、安平町、むかわ町などの被災地と比べたら壮瞥町では被害が少なかったと言えますから、これも幸いと住民の方は声を揃えて言います。

この体験を乗り越えて、私たちは生きる力を失わずに前へ進んでいかなければなりません。自分に出来ることは何か?と自問自答の日々です。


東京で体験した東日本大震災について

私は今回の地震ですぐに思い出したのが「東日本大震災」の時のことでした。

当時、仕事をしていた東京で震災を体験しました。

揺れもすごく長くて、今まで体験したことの無い恐怖と自分は生きられるのか?という不安で胸がいっぱいになりガタガタ震えました。

大きな揺れが何度か襲ってきて、急な停電で情報が得られず、たまたま当時使っていたスマートフォンでワンセグテレビが見れたので、東北で大きな地震がおき、そして信じられないくらい大きな津波が町を襲っているという情報だけ確認できました。

震源地の確認と現在自分のいる場所の被災状況だけ確認はできましたが、これからの行動についてどうしたらよいのかパニックになったのを覚えています。

東北の地震から首都直下型の地震がくるとか、富士山が噴火するとか、情報も錯乱してさらに不安な日が続きました。

それから自粛ムードがしばらく続き、当時働いていた整体サロンの運営のこともあり、私はそこを去り起業したという経緯があります。

あの東日本大震災の体験がきっかけで私は自分自身の生き方を考えるようになり、北海道の壮瞥町へ移住することになりました。

その経緯については移住インタビューにも書いてありますのでご覧ください。

記事はコチラ→「移住インタビュー」

開業直後に起きた東日本大震災。未曾有の大災害、そして世の中の自粛ムード。「事業を縮小せざるを得ず、私は仲間と離れ独立することに。私自身も震度5を体験し、この頃からなんとなく『生き方』を意識し始め、母の故郷である長崎へ移住しようかとも考えました」。

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あの震災を体験しなかったら私は移住もしてなければこの北海道へ来てもいなかった。そう思っています。

あの時の体験があったからこそ、真剣に自分の人生を考えた。未来の日本を考え、子ども達の未来のことを考えた。

今回の北海道胆振東部地震については、私があの時決心した「決意」の再確認とも言える体験だったのです。

「私は人生プランを考え直し目標設定をし、その通りに歩んでいるだろうか?私の進んでいる道は間違っていないだろうか?」

と、自分の中で問う時間が出来ました。

とにかく私が辛い思いをした「自粛ムード」。世の中の自粛ムードで一時は職を失った身なので、被災した方のことを思うと色々と自粛しなければならないという思いも分かります。しかし、経済が回らなければまた苦しむ方も増える一方です。

元気な町は元気な町らしく北海道を盛り上げる、自分のすべきことへ集中しようと私は思っています。

私が今回このブログを書こうと決意したのも、何かを変えなければならないという思いからです。


自分のこの1年を振り返る。

私はそのような経緯があり、壮瞥町へ移住しています。しかし、移住先として選んだ理由は「洞爺湖」と「子どもの教育の選択肢」があったという点でした。

地域おこし協力隊となり、壮瞥町役場へ勤務となるまではこの町が幾度と無く災害を乗り越えてきた町だと知らなかったのです。

有珠山や昭和新山の噴火の歴史は壮瞥町へ移住してから知ったことだったので、壮瞥町へ来て防災ハザードマップを見たり、壮瞥町について色々学ぶうちに、私はあの時自分にした決意に引き寄せられるようにしてこの町に移住してきたのだと肝が据わる思いでした。

そういった経緯もあったことから、洞爺湖有珠山地域の火山防災の取り組みのひとつである「火山マイスター制度」について聞いたときに積極的に取り組みたいと思いましたし、とにかく火山防災についての知識をつけたいと時間を費やしました。

その自分の思いは叶って、知りたかった情報、欲しかった仲間がどんどん広がっていきました。

今では火山マイスターとなり、地域の防災教育にも関わるようになってきました。この経験の積み重ねがとても重要だと思っています。


火山と共生する町、壮瞥町

昭和新山や有珠山は未だ活動する火山です、この地域では火山がいつ噴火するか分からない、そういった備えと心構えでこの町に住んでいます。

過去100年余りで4度の噴火を体験し、町の中にも噴火体験者の方がたくさんいます。そういった方々からも当時どのように避難をしたのか?また避難生活はどうだったのか?そのような話を聞ける機会も多くありとても参考になります。

壮瞥町では今回震度4の地震で停電も2日間続きました。一時的にコンビニやスーパーから食品が品薄になりました。ガソリンの給油にも制限がかかりガソリンスタンドに車が並びました。

ここまでは私が東京で体験した被災状況とほとんど変わりません。

ここから何が違ったか?色々自分なりに考察してみました。

・都市型被災の難点は食料と水の確保か。

そのため普段から備蓄が必要かと思いますが、東京で被災したときは近所のスーパーやコンビニが空っぽになりました。さらに品物が補充されるまでには3日以上かかった記憶があります。計画停電もあったことから、ご飯はガスで炊き、レトルトカレーを食べたりカップラーメンを食べたり、しばらく生鮮食品は得られませんでした。コンビにではお弁当やおにぎりがなくなるだけでなく、ジュースやお菓子類までも口に入るものすべてが無かった。

今回の北海道胆振東部地震後、私の家庭だけの話をしますと、スーパーまでは車で30分ほどかかるため我が家では1週間分の食料をだいたい備蓄しています。そのため買い物も週に1回程度です。肉も野菜もほどほどにあり、あえて買い足すことも無いですし、都会のように水を買うということがありませんから、地震後すぐに空いた容器に水をためて水の備蓄をしました。カップラーメンやレトルト食品もありましたが、一度も使うことがありませんでした。スーパーやコンビニに行けば乾麺やお菓子、レトルト食品などが沢山あってびっくりしました。

・生鮮食品の入手が困難。

地元の方は驚かれるかもしれませんが・・・水は買っていました。水道水はもちろん有害ではないですから通常通り飲めますが、壮瞥町の水道水のようにそのままは飲めるような生活をしたことがありません。家にウォーターサーバーがあり、月に水代で5000円~6000円ほどかかっていました。それもあって、水は買い足さなくても一週間くらいは大丈夫でしたので、都市部ではウォーターサーバーはあると良かったんだと、今になって思うことです。

それよりも、水を買っていたということに驚いています。今では本当に良い水が飲みたければ車で20分ほどのところに湧き水があり汲む事が出来ます。もし今回の停電に続き断水が起きたら、そこへ水汲みに行けばよいと思っていました。川の水を煮沸すれば生活用水には使えるかな?とも考えていました。

さらに生鮮食品について言えば、今回は近所の方が畑の野菜を分けてくれたり、農家さんのところへ行って分けていただいたり、困らず。地元には卵を育てている方、酪農家さん、地元の肉屋さんなどほとんど地元で補える環境だったという事に気がつき、有難いと思いました。ただこれが真冬だったら?と思うと恐怖ですね。

停電から2日後には地元のスーパーが開き、肉や冷凍食品はありませんでしたが、地元の野菜と鮮魚が売られていました。私はこの復旧の早さにびっくりしたのと、物がたくさんあることにびっくりして、ローカルな町の災害力を目の当たりにしました。

地元の方にとってはスーパーが開かない、物が不足する、ガソリンに制限がかかるという体験がはじめてだったようなので、戸惑いと不安があり、「牛乳が無い、納豆が無い」と無いものを探しているように感じましたが、私は「安心してください」「とっても足りています」と不安な方に声をかけていました。

・電車が止まる交通網の難点。

都市部で困るのが、電車が止まること。しばらく仕事にも行けませんでした。電車もバスも運休で、災害の直後は駅に沢山の人が溢れていて、タクシーとバスを待つ人々で長蛇の列・・・・異様な光景でした。帰宅難民になった人は家まで何時間、何十時間とかけて歩いて帰っていました。

これを機に都市部の企業では災害時、帰宅難民になった社員を会社にとどまらせるのか?帰らせるのか?そういうことも考えるきっかけになっているそうです。


これを踏まえての今後の課題とは?

・ますます防災教育の普及について本腰を入れようと思いました。

・それと、冬に災害が起きたことを想定しての備えが必要だと思いました。今回は農産物が豊富な時期でもあったので、これが冬だったらどんな備えが必要か?また燃料の確保や災害用のバッテリーなど必要な物の発見もありました。

・もし、都会で被災したら?そんなシュミレーションの中、どのような備えをしたら良いか?有事の際の行動はどのようなことか?こういったことを話し合える「場所」や「ネットワーク」を作っていくこと、私の中でのチャレンジしたい事も生まれました。

・親子で学べる防災教育の普及にも力を入れたいと、そう思っています。


「防災」ではなく「減災」の普及

防災とは本来は「減災」と表現するべきですが、共通認識の高い「防災」という言葉をここでは使わせて頂きました。本来であれば「減災」という災いを減らすという行動が私たちの求められる事です。

決して防ぐことは出来ない災害を、出来る限り減らす力が求められています。

知識を蓄えて、備える。単なる恐怖ではなく、正しく恐れる。

これは、私が壮瞥町に来て学んだ災害への心得です。知らないことが一番怖いのです。今では火山に対して恐怖が興味に変わってしまい、「火山ガールがゆく」というブログまで書き始めてしまいましたが、人間がどのような心で地球と向き合うか?そのことが恐怖が興味へ変えてくれたのです。

壮瞥町では2000年噴火以降も、火山防災を念頭においた社会資本整備、自治体間や民間企業と防災協定締結、フォーラムなどの普及啓発や防災訓練、小中高生等を対象とした防災キャンプ事業など、次期噴火を見据え、その備えを続けています。

*こちらの写真は27年に行われた壮瞥町の防災キャンプの写真です。壮瞥町ホームページより

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今回の地震においてたくさんの方からご心配のメッセージと、励ましのメッセージを頂きました。心より感謝を申し上げます。

これからも「私に出来ること」を進めていきたいと思います。また今後の活動についてはブログを通して伝えていきたいと思います。

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