そうべつ手帖

地域おこし協力隊の移住からの3年間を振り返って

こんにちは、壮瞥町移住ウェブサイトを見ていただき、ありがとうございます!

壮瞥町情報発信・移住アドバイザー、コジマです。

2020年3月いっぱいで、地域おこし協力隊の仲間、長友加也さんの任期が終了します。

長友さんとは一緒に地域おこし協力隊として働き、色々な経験も楽しい時間も、プロジェクトも共有し、そしてリアルな移住仲間として支えていただきました。

お疲れ様でした!

そして、壮瞥町を選んで移住してきてくれたことは、私も含めみんなにとって喜ばしいことです!

個人的なことで恐縮ですが、地域おこし協力隊として過ごした時間は、私には素晴らしい経験でした。

都会から北海道の田舎暮らし、移住生活、地域おこし協力隊の仕事など、長友さんの実際の体験、3年間を振り返ったインタビューをまとめました。
今検討している方にも、興味のある方にも、参考にしていただけたら幸いですし、私たちの新しい仲間になってくれたら何よりです!

移住したいと思ったきっかけは?その壁は?

長友:私が移住生活を始めてよく聞かれることですし、私自身も過去を振り返って何が一番のきっかけかと考えてみたんですが、一番は都会の窮屈さから解放されたかったんじゃないかと思うんです。
北海道じゃなければダメだったのか?というと、本当はそういうわけでもなかったのかもしれない。
ただ、移住生活してみてやっぱりここで良かったと思うところはたくさんあります(その理由は後ほど)。
私は静岡の田舎すぎないところで育ちましたが、当時は家の周りに田畑があり、遊びといえば田んぼでザリガニを捕ったり、ちょっとした川に魚を捕りに行ったり、男の子みたいな遊びばかりしていました。
幼少期は自然に触れて育ち、それが良かったと思っています。
自分が親になった時に、子供に対しそういう自然遊びをさせたいと思って子育てをしていました。
それが実際に思いどおりに行かず、自然を求めた旅を始めたことが移住への大きなきっかけになっていたんではないかと思います。
親の私たちも、都会の人の多さ、交通の不快さ(満員電車や渋滞)、無駄な消費エネルギー(夜になっても町が明るいことなど)に疲弊していたと思いますし、自然のあふれる場所(自然のあるではなく溢れるというところがポイント)で生活して、自給自足に近い暮らしもしたいと考えるようになりました。
そんな考えの中で訪れた洞爺湖で、当時1歳足らずの娘が自ら靴を脱ぎ洞爺湖に足をつけている姿を見て、こんな湖があったんだと心を打たれたのです。私の中で湖は泳げないものだと思っていましたから(沼のような感覚・・・)。
洞爺湖の美しさ、目で見る魅力だけでなく、思わず入りたくなってしまう、浸かりたくなってしまうその魅力に魅了されて、こんな美しい自然見たことない!!と思い・・・ここに住みたいと思ってしまったんですね。

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その時の写真がこれです。始めて訪れた洞爺湖。

なぜ壮瞥だったのか?

長友:初めて訪れたのが2015年の8月でした。その約半年後の2017年3月に冬の洞爺湖も見てみたいということで再度訪れ、やはりそれも良くて、さらにその3カ月後の2017年の6月に来て、今度は洞爺湖のすぐ近くに宿泊して洞爺湖を満喫し、いよいよ移住への決意を固めました。
では、住むところを探そうということで、洞爺湖周辺の情報をインターネットで検索し始めました。
その時の検索としては「洞爺湖 空き家」とか、「洞爺湖 住宅」とかそういうワードから始めたのです。
インターネットで検索していて、洞爺湖は洞爺湖町と壮瞥町に土地が分かれていたのだと理解し、洞爺湖町の空き家バンクや移住についての記事、そして壮瞥町の空き家バンク、移住サイトというように、だんだんと的を絞っていきました。
そうこうしている中、洞爺湖周辺の市町村の中で、壮瞥町のホームページがダントツにセンスが良く、移住情報や観光情報が整理されていてとにかく情報が得やすかったです。
さらに移住に対する電話対応がとても親切で住むなら壮瞥町がいいなと思っていきました。
最終的な決断は壮瞥町の町営住宅の中に「子育て応援住宅 コティ」というのがあるのを見つけて「これがいい!!」となったからです。
今ではGoogleのストリートビューがあるので、現地に行かなくても住宅の周辺の状況がインターネットを通してわかる便利な時代になりました。徒歩圏内に愛しの洞爺湖があり、さらにコンビニ、道の駅、役場、郵便局、交番、公園があるのがわかりました。
バス停もあり、最寄りの駅まで30分程度かかりますが行けるのもわかりました。
町に大きなスーパーはないですが、車を使えば伊達にあるスーパーまで20分程度で行けるのも知っていました。
実際に行ったこともある場所ですし、住宅も新築で行政職員と町のお母さんたちと考えた子育て世帯向けの住宅ということで、それなら大丈夫だろうと、ホームページの間取りと写真を見ただけ、なんと下見なしでこの住宅へ決めました。
壮瞥でなければいけない理由はありませんでしたが、とにかくすぐ移住したい私たちにとって、インターネットの情報収集が命だったので、情報が的確にまとめられていた壮瞥町のHPとその先の移住を担当している行政職員の対応は最後の決め手となりました。

そうべつ移住ウェブサイトを、チェックしてくださいね▼
https://www.town.sobetsu.lg.jp/iju/

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※現在2020年3月の壮瞥町移住ウェブサイトの画面から使った画像です

移住生活が理想に近いか?

長友:私にとっての移住生活は予想以上に快適です。
移住後に色々振り返る度に、【快適】という模範解答で「嘘でしょう?」と思われても仕方ないくらいですが、理想以上です。
下見なしで選んだ住宅も、2世帯が入る住宅で隣に住んでいる方もいますが、どちらも子育て世代ということで「お互い様精神」で多少子どもが騒いでも良いかなと思えますし、何が一番良かったかというと、自然の中で過ごせていること、それが生活に密着していることです。
子供と湖で遊んだり、湖だけではなく、海も川も近い。天気が良ければ山へ行ったり、そして少しですが畑も借りて持ち主の方と一緒に野菜を育て収穫して食べることができたこと、薪のある生活ができたこと、温泉もたくさんあったり(洞爺湖温泉、壮瞥温泉、蟠渓温泉、仲洞爺温泉)、道の駅も車で30分圏内にいくつあるでしょうか?数えきれません・・・(笑
湧き水を汲みに行ったり、キャンプもできたり、スキーもできたり、これも書ききれません(笑
そして懸念していた人間関係ですが、新しい場所で1から築いていかなければならないため、ここはとても心配していましたが、意外と移住者が多く、そして割と同じような考え方の人が多く話が合い、これも数えきれないくらいの友人ができました。
そして、この移住生活の中で、私の一番大変だったことをあえて出すならば「出産」だったかなと思います。
一人目は病院ではなく自然に近い形で出産をしたいということで助産院で出産しました。
二人目を妊娠したときに、やはり助産院で出産したいと思いました。
壮瞥町の周辺では残念ながら助産院がなく病院で産むか、里帰り出産しかないかなと思っていましたが、札幌にアパートを持っている助産院と出会い、そこでプチ都会生活をしながら無事出産をすることができました。
およそ2時間かけて札幌に通い、3週間ほど札幌に滞在して産後壮瞥に戻り、家族が増えた移住生活を引き続き行なっています。
札幌も思っていた以上に都会で、久しぶりの都会暮らしをしましたが「都会暮らしは卒業して良かった」と再確認しました。
こんな美しい景色に囲まれてまた1から子育てできるのだと思いが溢れた一枚です▼
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地域おこし協力隊について

長友:私にとってあっという間の3年間でした。
3年という任期を振り返って思うことは、地域おこし協力隊という制度が私にとても合っていたと思いました。
私はここに「壮瞥町での地域おこし協力隊」とあえて入れたいと思います。
この制度は日本の各地で取り入れられている制度で、様々な協力隊の方と出会ってきましたが、受け入れられる自治体で大きく内容が変わるということがわかりました。
その中で壮瞥町では、町全体としても移住者に対しとても寛容で協力的で応援してくださる、そういう町民性があります。さらに、壮瞥町の職員の方々も協力隊の制度を理解して対応し、自立を応援してくれます。
私はもともと起業を考えていたので、3年間という限られた時間の中でどう過ごすかというビジョンを持っていました。
1年目。まずは町に慣れるために、いろいろなところに顔を出してその中でこの町で自分には何ができるのだろう?何をしたいのだろう?という目標を見つけること。
2年目は見つけた目標に向けて何が必要か整理し、起業の準備をすること。
3年目は実際に起業し、実践してみること。
地域おこし協力隊は定住を促し、任期後もそこに住み続けることを理想とされはじまった制度です。
その定住のためには、行政職員から離れてもそこで自立して生活を成り立たせなければなりません。そのためには、協力隊の任期が終わる直前に慌てて取り組んでは遅いので、その制度を理解し、行動していました。
もともと起業意志があったということと、その起業にあった物件と出会えたというのが私にとってこの制度をうまく利用できたのだなという感想を持ちます。
私は「商工観光課」に配属になり主に観光に携わる仕事に就きました。お世話になった上司の方がとてもユニークで、そして様々な方面の情報通でマルチな職員の方でした。その背中を見て過ごすうちに、壮瞥町はおもしろく楽しい町だとどんどんのめり込み、ついには観光ガイドまでこなすようになっていました。
観光ガイドをこなせるくらいの職員になると人脈が広がり、そして世界が広がりました。自分の知らなかった世界をたくさん教わりましたが、その上司の方との出会いがなかったら今の私はなかったと思います。出会いは大事ですし、そして受け止める自分自身の心も大事だと思いました。
女性で子育てしながら地域おこし協力隊になるというのは、もしかしたら少数派になるかもしれません。それ故に行政側の協力と家族(パートナー)の協力がなければ成し遂げられなかったというのはありますが、協力隊という立場をよく理解し、利用することは協力隊になる上でとても重要なポイントだと思います。この任期3年はあっという間に過ぎ、ただただ楽しかったです。

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任期中はメディアにも登場することもしばしば。有名人松岡修造さんと会えたのは良い経験と思い出になりました。

任期終了後について

長友:任期が終わった後は子育てをしながら個人事業主として活動していく予定です。
任期中に出会った古民家をリノベーションし「TOYACAFE」というマルチスペースを開業しました。
もともと整体師、ヨガ指導者という本職があり、任期後はそういう方面で活動していきたいと思っていたので、まずはそういったサロンを持ちたいと思っていたことと、人が集えるような場所があるといいなと思っていたこと、そして趣味であった珈琲焙煎を仕事として実現したいという思いがあったのでこの古民家との出会いは運命的でした。
引き続きネットワークを充実化して情報発信をしつつ、通常はサロンと焙煎所として運営し、使わない時はレンタルスペースとして貸し出したり、イベントを行ったりして単なる一つのことを行うのではなく、いろいろなことが実現できる場所として使っていきたいと思っています。
さらに、これから壮瞥町へ移住をしたいと思っている方、すでに移住をした方が定期的に集まり移住者のネットワークを作り、互いに助け合っていけるような関係性を築いていければと思います。
やはり移住後というのはわからないこと、不安なことも多いと思います。私もそういう思いをしてきて、色んな方に助けられてきました。
今度は私がそういうサポート側に回り移住者も安心して暮らせる町の実現に向けて何かできたらいいなと思っていますし、それ以前に移住をしたいと思っている方の拠点となるような場所になれればいいなと思っています。
「壮瞥町に住みたいけど何から始めたらいいかわからない・・・まずはTOYACAFEに行ってみようかな・・・」みたいな感じが理想ですね。焙煎したてのコーヒーでも飲みながら移住生活を語り合うのってなんか素敵じゃないですか?
TOYACAFEについてはHPにて情報を更新していきます。
新しいプロジェクトのウェブサイトはこちらからです▼
https://toya-cafe.localinfo.jp

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新しいプロジェクトのTOYACAFEのウェブサイトです。

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