そうべつ手帖

はじめまして!壮瞥町地域おこし協力隊の鎌田です

はじめまして、鎌田(カマダ)と申します。
令和6年度4月から、地域おこし協力隊「まちのリポーター」として活動しています。
どうぞよろしくお願いいたします。

まずは自己紹介等を兼ねて、地域おこし協力隊として壮瞥町に来るまでのことを書いてみました。
ぜひご覧ください。

生まれ故郷について

私は兵庫県播磨北西部に位置する宍粟市千種町(旧宍粟郡)という小さな町の出身です。
面積は100平方kmほどで、壮瞥町の約半分に相当します。
兵庫県内で2番目に高い三室山(標高約1300m)があり、わたしの町から赤穂まで流れる千種川の水はミネラルが豊富で、日本の名水百選にも選ばれました。鮎、ヤマメ、アマゴなどの淡水魚も豊富で、釣り人にも人気の河川です。

また、かつては良質な砂鉄が採れることから、たたら製鉄所が築かれ、備前の大名方を含む多くの名刀に携わってきたそうです。

さらに、宍粟市内では「揖保乃糸」という素麺や、りんごなどの果物が特産品です。
このように自然豊かな町で18年間過ごしました。

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実家近くから見える風景


高校卒業後〜札幌にたどり着くまで

高校卒業後は、隣の岡山県で音響関係の会社に勤めていました。岡山は「晴れの国」と言われるほど天候に恵まれており、自然も豊かです。休日にはドライブや海水浴、釣り、BBQなど、アウトドアを楽しむ機会が多くありました。

その後、25歳のときにワーキングホリデーを利用し、オーストラリアで約2年間生活しました。メルボルンで約4ヶ月間語学学校に通い、その後はクイーンズランド州ブリスベンから車で2時間ほど西に行ったガトンという農業の盛んな町で、地元農家さんのもとで働きながら生活しました。ガトンでの生活はかけがえのないもので、さまざまな国の友人ができ、異なる生き方や考え方に触れることで自分自身の生き方を考えるようになりました。

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ガトンで共に暮らしたシェアメイト達

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ガトンの農場にて


2018年に帰国後、オーストラリアで出会ったパートナーの故郷である札幌に移住しました。札幌では通信事業のカスタマーセンターで働きながらWeb制作やプログラミングを勉強し、その後フロントエンドエンジニアとしてWeb制作会社に勤めました。

札幌に移住した当初は、美味しい食べ物に魅了され、ラーメンやパン屋さん巡りを楽しみました。また、自然を求めてニセコや洞爺湖へドライブに行く機会もありました。北海道の田舎の風景はどことなくオーストラリアの広大な田園や牧場地に似ており、とても気に入っていました。

いつか自然豊かな場所で暮らしたいと考えながら、札幌での日常を送っていました。

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初めて洞爺湖に訪れた時


コロナ禍で変わるライフスタイル

日本や世界で新型コロナウイルスが大流行し、生活が一変しました。仕事はリモートワークになり、週末も外出を控える日々が続きました。

インドアな趣味を持たなかった私は、なんとなくゲーミング用PCを購入しました。
そしてゲームに熱中し、オンライン上で顔も知らない誰かと毎晩会話しながら一緒に任務を遂行することに達成感を感じました。
睡眠を削ってまでゲームをする日々が増え、同棲していたパートナーとの会話も減り、生活習慣も崩れていきました。

コロナが5類移行し、日本各地でコロナ禍前の生活が戻りつつありましたが、私は相変わらずゲームに没頭していました。
元々人混みが苦手で、街中に出るのは得意ではありませんでしたが、引きこもってゲームに夢中になるあまり、人と接する機会が減り、札幌で友人を作ることなく、都市部での生活を閉ざす一方でした。


地域おこし協力隊制度を知る

そんな日々を過ごす中、コロナ禍以降、数年ぶりに実家に帰省したときです。兄や父との会話の中で「地域おこし協力隊」という言葉を初めて耳にしました。

都会から協力隊の人が来ており、廃校になった地元の小学校を改築し、多目的に使用できるスペースを作っているという話でした。
「地域おこし協力隊」という言葉すら知らなかった私は、札幌に戻ったあとすぐに協力隊の制度について調べ始めました。


田舎への移住は元々考えていた

私は札幌に来た当初から田舎での生活に興味を持っていましたが、仕事や生活についての課題がありました。

仕事はあるのか?住む場所は?

私がプログラミングを独学で習得し、Web制作会社に勤めていたのは、ネット環境を活用して場所に縛られず仕事ができるようになれば田舎に移住しても問題ないと考えていたからです。
しかし、独立するためには現場での経験がまだまだ必要で、田舎への移住は数年先だと考えていました。


制度を利用して移住を決意、壮瞥町に決めた理由

ライフスタイルが乱れ始めていた私は、この制度を利用して田舎に移住することを決意しました。
パートナーに話すと条件がありましたが、同意してくれました。
条件に合う募集を探していたとき、目に留まったのが「火山のまちでリポーター」という文字でした。洞爺湖に行くこともあり、壮瞥町や昭和新山のことは知っていましたが、壮瞥町に実際訪れたことはほぼありませんでした。

壮瞥町について調べていくと、私の故郷と似ている点がいくつかありました。
スキー場や町出身のお相撲さんがいること、渓流釣りができること、町の風景もどことなく似ていることです。
ただし、故郷には火山はありません。

さらに協力隊の業務として、SNSや広報のサポートやホームページの更新など、私なら貢献できると感じました。
また、北海道で渓流釣りをしたいと思っていたので、洞爺湖の存在も大きな魅力でした(ゲームに夢中でできずにいました)。
この募集を見つけたその日に履歴書とレポート資料を作成し、すぐに応募しました。
そして、ありがたいことに採用していただきました。


最後に

長くなりましたが、私が壮瞥町に来るまでの話です。

今後は壮瞥町での生活を通して、様々な情報を発信していきます!
また、壮瞥町の公式YouTubeチャンネルでは、町内の出来事をニュース形式で配信することを構想しています。

写真や映像を通して、町内外多くの方にご覧になっていただけるようにこれから精進してまいります!
よろしくお願いします!

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