そうべつ手帖

遺構公園を巡る~1977火山遺構公園編~

こんにちは!壮瞥町地域おこし協力隊の"おしみ"こと、清水です。

前回は「昭和新山遺構公園」に行ってきました。(記事はこちら
そして今回は、後編の「1977火山遺構公園」をレポートします!

古い建造物が好きな私は、ここも訪れたい場所の1つでした。
実際にこの場所に立つと想像していたよりも大きい建物で、その迫力に驚きました!

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1977火山遺構公園』ってどんな場所?

今は公園と名前が付いていますが、元々病院が建っていた場所です。
1977~78年の噴火による地殻変動で、地下に断層ができて破壊されました。

噴火当時、この病院には230名の入院患者がいましたが病院スタッフの誘導で徒歩での避難を開始。
また、車両によるピストン輸送も行われ短時間での緊急避難を成功させました。

ここは火山災害を広く伝えていくため、倒壊した建物を保存、解説看板を設置して一般に公開されています。

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こちらが噴火前の建物を写したものです。

左側の3階部分が院長室だった部屋。
今は1階部分が完全に見えなくなってます。

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すごいですね!
植物が生き生きと茂っています!

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病棟だったと思われる右側の建物。
屋上が小さな森のようになっています。

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よく見ると、病院の看板も現存していました。

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病院の通路でしょうか。
奥からなだらかな坂のようになっています。

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実はここ、心霊スポットといわれていて肝試しをする人もいるとか、、
病院跡地なのでちょっと怖い印象も受ける人もいるかもしれません...。

ですが(火山で非難した際)入院患者全員無事!誰も亡くなっていません。
つまり、ただの噂話です!ですので安心していらしてくださいね。

(誰かがどこかのこわい話を知らぬ間にコラボレーションしたようです笑。)

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こちらは2016年5月に撮影された「1977火山遺構公園」です。

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そして、こちらが今年2020年8月に撮影したもの。

この「1977火山遺構公園」は、建物をきれいに保存・保管するだけではなく噴火と再生の循環を確認できる「複合象徴物」です。
だから、この緑と一体化して森に還っていくような姿が見られるんですね。

正直、加賀谷さんから説明を聞くまでは、目から入る情報だけで「廃墟好きが喜ぶ場所」という軽い印象でした。
でもここに来て話を聞くと、火山と共存している町や人の歴史、そして後世に残していく知恵と経験がありました。

遺構公園を2カ所巡ってみて思ったのは、ガイドさんの大切さ。
ガイドさんから聞くってとっても楽しいんです!!

ただの情報なら看板を見れば分かります。知識も得られます。
でも、ガイドさんの口から直接聞いて、点と点が繋がっていく楽しさや、その熱量を感じてワクワクする体験。
壮瞥町に来たら訪れてほしい、そしてガイドさんがいれば更に楽しめる場所です!

【1977年火山遺構公園】
詳しくは下記をクリック
https://sobetsu-kanko.com/spot/1977koen
(リンク先の画像は冬に撮影されているので、また違った顔が見られますよ!)

【洞爺湖有珠山ジオパーク】
詳しくは下記をクリック
https://www.toya-usu-geopark.org/
(一般の方へのガイドも行っているようです。)

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