そうべつ手帖

やってみたシリーズ~昭和新山に登ってみた~

こんにちは!壮瞥町地域おこし協力隊"おしみ"こと、清水です。

早速、やってみたシリーズの第2弾です!
今回は「令和2年度 第3回 子ども郷土史講座」の『昭和新山にのぼろう!』に
協力隊4名も一緒に参加させていただきました。(ありがとうございます!)

ブログを読みながら一緒に登っているような気分を味わって貰いたく
今回は画像を多めですが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

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昭和新山は私有地なので、通常は立ち入り禁止!
ですが、壮瞥町民は「子ども郷土史講座」などの機会に登山する機会があると聞いていたので
"私もいつか登れる日が...!"と楽しみにしていたら有難いことにすぐ叶いました!嬉しい限りです。

当日は、
・履きなれた靴
・雨具
・指定の服装(肌が見えないよう長袖長ズボン)
・お弁当
・おやつ
...など

ウキウキで完全に遠足気分で参加!
(まさかあんなことになるなんて、この時の私は想像もしていませんでした、、)

全員ヘルメットを着用。オリエンテーション後、
壮瞥町商工観光課 三松靖志さんのガイドがスタートします!

ShowaShinzan_Mimatsu_Zou (6).JPG三松正夫像と『麦圃生山(麦畑山ヲ生ズ)』

まずは三松正夫像の前から。
像の台座に『麦圃生山』の文字がありますね。
普通なら『三松正夫像』と入っていてもおかしくないのですが、実は三松さん本人が拒否!
自分の名前ではなく『麦畑山を生ず』という言葉を残したいとおっしゃったそうです。

そんな話に私個人は「山を愛した粋な男だなぁ」と感じました。
戦争の時代に、全財産を投げ打って山を買う覚悟と度胸。
ここを「奇跡の山」だと感じた直感力と山への思いは、すごいの一言です!

20201021_sm_showasinzan2.jpg

▶火山によって"ぐにゃり"と曲がってしまった木(画像1)
火山灰や火山礫などによって"ぐにゃり"と曲がってしまっています。
それでも成長し続けているカバノキ。
『三松正夫像』左側の舗装された歩道を上っていくと見られます。​

▶ミマツダイヤグラムとガイドさんたち(画像2)
昭和新山が誕生していく過程を記録した定点観測スケッチ画
「ミマツダイヤグラム」をジオパーク友の会のみなさんが持って見せてくれています。
この中のどの画が1番すごいかを当てるクイズも出題されました。​

20201021_sm_showasinzan3.jpg

▶ 岩場での休憩​(画像3)​
いくつかのポイントで休憩をしましたが、ここは岩場。しかも急斜面!
私はもう息切れしていますが、子どもたちは余裕の表情。

▶ 足元には落ち葉や小さな石​(画像4)
​昭和新山は歩く場所によって足元の状態が変わります。
落ち葉や小さな石があると滑りやすく、転びやすい。
この画像を撮ってすぐ、案の定転びました笑。

20201021_sm_showasinzan4.jpg

▶ 活火山であることを感じる​(画像5)
​頂上に近づくにつれて白い蒸気を目にする回数も増えます。
今も"生きている"火山だということをすぐ間近で感じました。​

▶ 地中の温度はなんと約99℃!!!​(画像6)
​ガイドさんが地中に刺した高精度温度計には約99℃と表示が!
グラついて(軍手をした手で)少しだけ表面を触れると熱い!!​

20201021_sm_showasinzan5.jpg

▶ 通称「亀岩」。ランチポイントに到着!!​(画像7)
​頂上手前!通称「亀岩」付近。
洞爺湖~伊達市までぐるりと見渡せる絶景スポット。
ここが最終休憩&ランチ地点でもあります。​

​▶ 壮瞥町を一望​(画像8)
​大きな岩に座って、町を眺める2つの後ろ姿。
(今は小さい背中だけど...これから壮瞥町を担っていってね!)​

20201021_sm_showasinzan6.jpgのサムネイル画像

▶ 頂上付近にススキ!秋の景色が。(画像9)
​頂上付近は「赤い土」のイメージが強い昭和新山。
(ちなみにこの赤は、レンガの焼成と同じ仕組みらしいです。)
地中の温度が高い中でも、ススキやその他の植物が生息していました。​

▶ 頂上まであと少し!​(画像10)
​1列になって急な斜面を登っていきます。
荷物は亀岩に置いて身軽なはずなのに、息が上がって会話もしなくなり無言...笑。
けれど小学生たちはまだまだ元気そう!​

20201021_sm_showasinzan7.jpg

▶ 土産物屋さんがミニチュアサイズ(画像11)
​有珠山ロープウェイと変わらない高さまで到達!
天気も良く、昭和新山大橋のアーチもきれいに見えます。​

▶ 頂上に到達!!​(画像12)
安全を優先して、今回は先端までは登れませんでしたが、
ここまで頑張って登った達成感に包まれます。
(みんな壮瞥町方面を眺めています。)​

この後「亀岩」まで降りて、絶景の中みんなでお昼ご飯!
下山用のエネルギーをしっかり蓄える為、糖分(おやつ)も摂取。

参加したみんなで記念撮影をして、後半戦突入です。

20201021_sm_showasinzan8.jpg

▶ 行きはよいよい、帰りはこわい​(画像13)
​下山スタートしたものの、すぐこの光景!
「こんな道歩いて来たっけ?」と記憶喪失状態。
思わず「通りゃんせ」を歌いたくなる心境に...。​

▶ 半泣き。最難関ポイント!​(画像14)
​この急斜面、ほぼ道はありません。
自分の足元に集中していて、前の人が歩いた位置を確認する余裕などなく、
心は半泣き。実際に「えぇ!!!これどこ通るんですかぁあ!!」と弱音を吐きながらも挑む。

ガイドさんに「真っ直ぐ立ってた方が滑りにくいよ!」と言われたのに
お手本になるくらいのへっぴり腰。
山に手をつきながら1歩踏み出すと、、

"ズサァァアアーーーーーー!!!"

深い伸脚並みに片足が遠く、遠くへ...。
滑落は逃れましたが、変な汗が出て
脳内で「サンサーラ」が流れました。(生きてる、生きていく...)

この後は、降りることに必死過ぎて「三松正夫記念館」に辿り着くまでまともな撮影が出来ませんでした。

20201021_sm_showasinzan9.JPG

昭和新山の貴重な資料が残る、三松正夫記念館

画像でフリップを使い、説明をされているのが「三松正夫記念館」館長・三松三朗さん。
ご厚意で記念館の中も見せていただけることに。

館内には「ミマツダイヤグラム」はもちろん、スケッチや写真など多くの貴重な資料が。
もちろん解説文もありますが、直接お話を伺いながら拝見すると
文字として読む以上の"言葉の体温"みたいなものを感じ、面白くとても興味深かったです。

子どもたちが手に取りやすい「ミマツダイヤグラム」のパラパラ漫画や
手塚治虫の「火の山」(※1)関連の展示もされています。
(※1 第二次大戦中。北海道壮瞥村に流れ着いた元工員の井上が、急速に生成する昭和新山の観測者三松正夫の助手となり、昭和新山の観測と保護に生涯を懸けた記述。こちらは実話に基づくものです。)


館内を見た後は、三松さん、ガイドさんにお礼を言ってこの日は終了。

昭和新山の成り立ちなどは、登山の前から聞いていましたが
自分の足で実際に登ってみると、人間の力はちっぽけに、そして自然の偉大さやパワーを全身で感じます。
登ってみても、元々麦畑だったとは思えないです。

そんな『昭和新山』と共に生きていることは壮瞥町民の自慢だと感じました。

【三松正夫記念館】
詳しくは下記をクリック
https://sobetsu-kanko.com/spot/mimatsu

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【最後に】昭和新山登山を振り返って

「昭和新山」登山は勉強にもなり、とてもいい経験でしたが、笑っちゃうくらい大変でした!
色んな人にリサーチして「登山靴じゃなくても大丈夫!」という言葉を鵜呑みにして挑んだところ
普通のスニーカーで歩くと滑って、転んで、尻もちついて、
登山後は筋肉痛で関節曲げられない、ロボットみたいな動きになり...
やれること、全部やりきった気分です笑。

元々運動神経が悪く、体力もないので当然の結果だったかもしれませんが
筋肉つけないと!と強く感じました。

本格的な登山ではないですが、私のような初心者は靴だけでもスパイク付きをおすすめします!
この後、町の人に話すと「地下足袋もいいよ!」と教えてもらいました。
出来れば足首まであるタイプが良いと思います。
(私は何度か足首持ってかれそうになったので...笑。)

遠足気分で行った私には、想像以上に過酷な道のりでした。
その分「(運動神経悪くても、体力無くても)登れたー!!」という達成感は大きかったです。
壮瞥町、洞爺湖を一望したあの風景は、これからもずっと忘れないと思います。

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