遺構公園を巡る~昭和新山鉄橋遺構公園編~
こんにちは!壮瞥町地域おこし協力隊の"おしみ"こと、清水です。
今回は遺構公園に行ってきました!
前編を「昭和新山鉄橋遺構公園」、後編は「1977エコミュージアム火山遺構公園」の2回に分けてレポートしますね。
まず、「遺構公園って何?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
【遺構】って言葉、日常生活ではなかなか使いませんよね。
意味を調べると"昔の構築物(の一部)が地面や地中に残った跡"と出てきます。
難しく考えず、歴史を感じられる場所と思っていただけると良いかもしれません。
「昭和新山鉄橋遺構公園」は国道453号線沿いにあります。
駐車場からすぐ、この看板が遺構公園入口の目印です!
看板の後ろ、左方向に道が見えます。
個人的にこの入口が1番ドキドキしました!
当初1人で回る予定だったのですが、強力助っ人がガイドをしてくれることに!!
洞爺湖有珠火山マイスターの「加賀谷にれ」さんです!
(約10年前、壮瞥に移住された私の大先輩です。)
歩きながら、加賀谷さんからクイズを出題されました。
『昭和新山ってどこでしょう?』
私は思わず「赤い方!!!」と答えました。(毎日、有珠山と並んだ姿を見ているので)
実はこれ、ひっかけ問題。
私が登っている"ここ"が昭和新山という答え!!
(確かに。名前に"昭和新山"って付いていた!)
へんてこな答えをして、恥ずかしいのを笑って誤魔化しながら(本当は全然誤魔化せていない)加賀谷さんの後に付いて、どんどん山道を歩きます。
この青い看板が見えると、道は少し急勾配になりますよ!
ここが鉄橋遺構公園
登りきるとパッと開けた場所が出てきて、そこに大きなコンクリートが2つ。
これが鉄橋の跡!
この上に線路が敷かれていて、間に川が流れていたんですね。
クイズでも出てきた、この昭和新山は火山活動によって約2年で出来た山なんです。
それまではのどかな田園地帯で、フタバ集落と呼ばれる場所でした。
火山活動による地殻変動で土地は隆起し、その上を走っていた鉄道は7回も路線変更をしたそうです。
更に驚いたのは、それを手作業で行っていたという話!
(注:この内容の詳細は、鉄橋遺構公園に設置されている案内板にも記載されています。)
真っ直ぐ立って撮影しましたが、コンクリートが大きく傾いています。
(登ってきた急勾配な山道もですが)それだけ土地が隆起した証拠で、火山という自然の力がどれだけすごいかを体感することができます。
鉄道と火山の歴史が詰め込まれているのを感じ、思わず鉄橋跡のコンクリートに「お疲れ様です」の意味を込めて、肩(と勝手に思った場所)をぽんぽん!と叩いてしまいました。
そして、加賀谷さんから面白いことを教えて貰いましたよ!
この草、何か知っていますか?
【研草(トグサ)】といいます。
竹のようですが、簡単に節でポキッと折れます。
実はこのトグサ、水辺に生息する植物なんです!
でもここは山の中、、、なぜ、ここに?
勘の良い人はわかりましたよね!
鉄橋があったのは川。その土地が隆起して昭和新山が出来た...
つまり
"ここに川が流れていましたよ"というのをトグサが教えてくれているんです!
遺構公園の一面にはトグサが生えていて、その事実を知ると鉄橋の跡だけでなく、この土地自体がとても面白く感じませんか?
ちなみにこのトグサ、私はどこかで聞いたことがあったので「なぜだろう?」と思い調べてみたのですが、
クラリネットなどの木管楽器に使われるリード(注:音を鳴らすために使う薄い板のようなもの)を研ぐ時に使われている物でした。
私は中学生の時ブラスバンド部でクラリネットを担当していたので、とても懐かしい気持ちになりました。
遺構公園から駐車場へ下る道で、行きは気付かなかった小川を発見!
さらさらと小さなせせらぎを聞くこともできました。
【おまけ】
トグサの中に見つけた一本道!
私の予想ですが、小さな生き物が毎日使っている通勤路だと思います。
他にも、急な斜面に沿うように"ぐにゃ~"っと曲がった木があったり(どこにあるか探してみてください!)
実際に鉄橋跡のコンクリートを見て・触ることができますが、想像力を働かせて今はないものを感じたり、森の中にある小さな発見をするのもおすすめですよ。
【昭和新山鉄橋遺構公園】
詳しくは下記をクリック
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